謹啓 余寒の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のお引き立てを賜り、ありがたく厚く御礼申し上げます。
さて、この度77ギャラリー様との同時開催で、日本での第4回個展となる、中村徹(TETS)新作展を開催いたします。中村徹は、東京芸術大学を卒業後ヨーロッパに渡り、オランダにて約10年間を過ごしました。その間、日本人として初めて国立モダンアート研究所 ヤン・ファン・アイク・アカデミーに入った才能ある作家です。
中村は今まで、日本中世の茶道の世界に見られる「見立て」や「わび・さび」といった日本独自の文化(美の心)に強い関心を持ち制作活動してきました。それが第1回個展"雲立渡礼(くもたちわたれ)"、第2回個展"非所(ひしょ)"となり、見えないものを見えるもの(見立てたもの)として描きたいという気持ちの表れとなりました。また、美しいものは邪気を払い正気を放つという信念の下、自分の作品がそのような存在であって欲しいという姿勢を持ち続け、第3回個展"MON AME(いとしきひと)"では、自らの死生観を本に、ひとに見えるぎりぎりの形をキャンバス上に立たせることで見ることの意味を鑑賞者に投げ掛けました。
そして今回の個展"静歓"では、日本語の清音が網羅されている「いろは歌」(涅槃経第十四聖行品の偈を和訳したもの)より題をつけた作品を主に展覧し、今まで以上に仏教の思想、東洋の精神を感じさせる展覧会となります。それは、まるで禅僧が坐禅により仏教の真髄を体得しようとするごとくに、作家が制作を一つの修練のように考えているからかもしれません。その制作姿勢が「寂滅為楽(その生滅の静まれるこそ楽しけれ)」を意味する作家の造語"静歓"に表されています。"うゐのおくやま"と題する作品では、その山を超えるべきものとして、山の向こう側にあるものを描こうとする作家の作品と、鑑賞者との間の対話が、禅問答となり得るには、作者と鑑賞者が欲望や執着心を持たず、修練を必要とする意識的な無意識の状態(無)に近付くにつれ、本物(真実)となっていくのではないでしょうか?
今回は今まで以上に作品が語りかけてくる気がします。それは作家が、'何故死ぬのか、何故生きるのか'という受動的な姿勢から、'どのように死ぬか、どのように生きるか'という能動的で積極的な姿勢へ変化したからではないかという気がしてなりません。この世界のように、キャンバスの中に完全なる世界を創造しようとする中村徹の作品をぜひご覧いただき、これが将来「墨蹟」と成りえるかどうか、ご批評くださいますようお願い申し上げます。
※ 第8回NiCAF 4月4日(金)?7日(月)(会場:東京国際フォーラム B12ブース)にも、中村徹作品を展示します。(大作を展示予定です。)現在の中村徹の仕事を全貌できる、またとない機会ですので、併せましてご覧くださいますようお願い申し上げます。
「涅槃経第十四聖行品の偈」
諸行は無常なり(諸行はまことに常なることなし)
是(これ)生滅の法なり(生滅をもってその性となすゆえなり)
生滅(めっ)滅し己(おわ)りて(生じたるものまたかならず滅す)
寂滅を楽と為す(その生滅の静まれるこそ楽しけれ)
その和訳「いろは歌」
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
静歓〈うゐのおくやま考〉中村 徹(TETS)
一、
10世紀後半(平安中期)頃の日本語の清音が網羅されている「いろは歌」
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
これに漢字を当てた文、
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
これは「涅槃経」聖行品の末尾、ブッダが弟子の迦葉(かしょう)に、自分がこの世で最高の悟りを開くに至った過去世の因縁について語る場面 に出てくる偈(げ)の和訳である。
その偈、
諸行は無常なり 是(これ)生滅の法なり
生滅滅(めっ)し己(おわ)りて 寂滅を楽と為す
その意、
諸行はまことに常なることなし
生滅をもってその性となすゆえなり
生じたるものまたかならず滅す
その生滅の静まれるこそ楽しけれ
二、
「諸行は無常なり」の「諸行」とは「造り上げられたもの(サンスクリタ)」の意で、「有為(うい)」と同義に使われ「〔さまざまな原因によって結果として〕造り上げられたもの」すなわち「因果関係の上にあるもの」はすべて無常であること。「すべて」は、さまざまな因果 律上に造り上げられている「有為」なものであり、人によって欲望され執着されているういものである。その欲望・執着心は無常、無我の・ありのままに見知する・ことを否定し、そこに常位 性を期待してしまう。その無知により、期待は何時か裏切られ、失望感と怒りに身を焦がし苦悩する。又無知な煩悩の別 名で、期待すべきでないものを期待し、意識すべきでないものを意識する所に、煩悩による「業(カルマン)」がある。
三、
「うゐのおくやま けふこえて」は、その意「生じたるものはまたかならず滅す」を体する哲学的ビジョンで、私の「うゐのおくやま」と題する画中に見える「山」的イメージも正に「こえて」しまうべき対象物として、イコノロジー(図像解釈)されるだろう。それは奥深い地底部、「業(カルマン)」の磁場から沸々と煩悩の岩漿(マグマ)が滾(たぎ)り休むことを知らぬ 「心」からの解脱を意味する「無知を離れ、無常を無常、無我を無我と知る「心核(コア)」の深層部(ミクロコスモス)で「知恵」を有するある領域━煩悩の干渉を許さない非見の領域━が終に、「心」の奥底で蠢(うごめ)いていた煩悩の熱を消し去ることだろう。又知覚すべき位 相を移してみれば、非見の領域とは「うゐのおくやま」の背後に広がる、向こう側をイメージさせる茫々たる広さと高さをもった巨視的空間(マクロコスモス)。つまり「寂滅為楽(その生滅の静まれるこそ楽しけれ)」に繋(つな)がるべき山水画的空間がある。中国を源とする水墨画の中で達成されるあの何も無い空間の豊潤さ、静かな歓びを奏でる無音の風。
四、
人の一生の内で「静歓」できる瞬間がどれ程あるものか。それを求めても、かならず得られる保証を無視した求道者の道程の内に実証として訪れるある(経験者はあのと言う)瞬間、それとは全く無縁に費やされる圧倒的な「騒苦」な時間としての日常。それ由に、「静歓」の境地を求める気持ちで、偈の続き「あさきゆめみし」に「朝暉夢見路」と字を当ててみたくなる。
五、
「うゐのおくやま」、その向こう側に有るある実感(騒苦な時間の内に、訪ずれる奇跡的な空白の瞬間)、無為無苦な空気。自らの意志と錯覚している欲望を、投げ遣りな何気ない態度で、捨て置けるある勇しい気力を持ち続けて、時間の位 相の向こう側に、「けふこえて」ゆく時に、ある優しい気力が「こえて」見た者を包み込む約束された瞬間。
すべての有為なものが全肯定されるために、「心核」の内で発動される根源的な生命力。その躍動感は「静歓」に盈(みち)ている。
平成15年2月中旬
参考文献 存在の分析〈アビダルマ〉By桜部建・上山春平<角川文庫>
■作品リスト
うゐのおくやま A 48x18.5cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま B 48x18.5cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま C 48x18.5cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま D 48x18.5cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま E 48x18.5cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま F 85x30cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま G 85x30cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま H 85x30cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま I 75x27cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま J 75x27cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま K 124x43.5cm キャンバス・ミックスメディア
うゐのおくやま L 124x43.5cm キャンバス・ミックスメディア
杪々 A 85x30cm キャンバス・ミックスメディア
杪々 B 75x27cm キャンバス・ミックスメディア
杪々 C 124x43.5cm キャンバス・ミックスメディア
杪々 D 75x27cm キャンバス・ミックスメディア
静環 A 68x68cm キャンバス・ミックスメディア
静環 B 68x68cm キャンバス・ミックスメディア
静環 C 68x68cm キャンバス・ミックスメディア
Moon face A 72.5x37.5cm キャンバス・ミックスメディア
Moon face B 72.5x37.5cm キャンバス・ミックスメディア
Moon face C 72.5x37.5cm キャンバス・ミックスメディア
水月 P60 キャンバス・ミックスメディア
随雲 P60 キャンバス・ミックスメディア
雲立渡礼 サムホール 紙・油彩
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