作家コメント
この作品は 2023 年に伊豆市貴僧坊を舞台に開催された『Cliff Edge Project-うぶすなの水 文学-』において、当地の貴僧坊水神社で祀られているミヅハノメノミコトを描いた絵画である。 この展覧会では場所性の強い本作品を、その文脈から切り離された場所で、新たな景色と して顕現させることを試みる。 その地に永く祀られてきた水のカミとはどのようなものなのだろうか、絵画として顕わす 行為に戸惑いながらも、水にまつわる地を巡り思考を重ねてきた。ミヅハノメノミコトは 神話上は伊邪那美を起源とする水を司る女神としてある。その伝承を骨子に、その地に受け継がれてきた山河や営みが集積した"見えてしまった景色"こそが、カミの顕わすべき像 なのではないかと考えた。本作品は当地の写生から得た水や木々の気配、信仰や営みの痕跡を重ね融合した景色としてカミの姿を描き、両翼の絵画の間に設置することで、この地を巡る中でカミが見えてしまった瞬間そのものを現した。また、作品で使われている墨や膠は、舞台となる水神社の湧水で溶き使用している、支持体となる和紙を作る越前ではミ ヅハノメノミコトがその製法をもたらしたと伝承にあり、素材、物質的な面のうぶすなと しても、この絵画にはミヅハノメノミコトそのものが転化していると考えている。 横山大観は『生々流転』で水の一生と人の生き様を重ね合わせ、川端龍子はその返歌となる『逆説・生々流転』で狩野川台風の災害か復興する人々の姿を生命賛歌として描いた、 私は同じく『生々流転』と名付けたこの絵画を、今を生きる人々が世界と関わる中で見出す希望の集積として描いた。*展示風景は2026年開催「漆原夏樹展-生々流転・ミズハメノミコト-」のものとなっております。https://hirota-b.co.jp/exhibition/2026/04/post-88.html
この作品は 2023 年に伊豆市貴僧坊を舞台に開催された『Cliff Edge Project-うぶすなの水 文学-』において、当地の貴僧坊水神社で祀られているミヅハノメノミコトを描いた絵画である。
この展覧会では場所性の強い本作品を、その文脈から切り離された場所で、新たな景色と して顕現させることを試みる。
その地に永く祀られてきた水のカミとはどのようなものなのだろうか、絵画として顕わす 行為に戸惑いながらも、水にまつわる地を巡り思考を重ねてきた。
ミヅハノメノミコトは 神話上は伊邪那美を起源とする水を司る女神としてある。
その伝承を骨子に、その地に受け継がれてきた山河や営みが集積した"見えてしまった景色"こそが、カミの顕わすべき像 なのではないかと考えた。
本作品は当地の写生から得た水や木々の気配、信仰や営みの痕跡を重ね融合した景色としてカミの姿を描き、両翼の絵画の間に設置することで、この地を巡る中でカミが見えてしまった瞬間そのものを現した。また、作品で使われている墨や膠は、舞台となる水神社の湧水で溶き使用している、支持体となる和紙を作る越前ではミ ヅハノメノミコトがその製法をもたらしたと伝承にあり、素材、物質的な面のうぶすなと しても、この絵画にはミヅハノメノミコトそのものが転化していると考えている。 横山大観は『生々流転』で水の一生と人の生き様を重ね合わせ、川端龍子はその返歌となる『逆説・生々流転』で狩野川台風の災害か復興する人々の姿を生命賛歌として描いた、 私は同じく『生々流転』と名付けたこの絵画を、今を生きる人々が世界と関わる中で見出す希望の集積として描いた。
*展示風景は2026年開催「漆原夏樹展-生々流転・ミズハメノミコト-」のものとなっております。
https://hirota-b.co.jp/exhibition/2026/04/post-88.html